どうやってMBAの志望校を決めたのかという話
僕は"MBA おすすめ"とGoogleに打ち込んだ。今思えばもう少し考えたキーワードはなかったのかという感じではあるが、僕はMBAの志望校を決めようとしていた。もともとは、周りのMBA経験者にお勧めを聞いて、数校にアプリケーションを出してみよう、というくらいの調子で受験を始めた。しかしながら、初期的なインタビューの段階で、どうやらある程度きちんと調べないとダメそうだ、という結論に達したため、わざわざ薄暗い土曜日の朝に早起きをして、眠い目をこすりながらノートパソコンの前に向かっていた。
事の発端はこうだ。尊敬する会社の先輩に聞いたところ、ハーバードかスタンフォードを勧められた。僕も聞いたことのある名前だ。もっとシニアな人にはケロッグという学校を勧めて頂いた。消費財業界をやっている方なので、最初は冗談だと思ったら、本当にそういう学校があるらしい。後輩のアメリカで学部を卒業したやつにそれとなく聞いてみたら、まぁランキングでTop 10くらいだったらあんまり変わらないんじゃないですか?、というつれない返事だった。"ボスキャリ"の方は確かデュークという名前の大学だった気がする。響きがかっこいい。
こういう風にみんな言うことが違うときは、多くの場合において最初の問題設定が間違っていることが多い。僕はどの学校にいくのがよいのか、というとてつもなく漠然とした問いからスタートしていたのだが、一歩引いて情報をまずは集めることで、正しい問題設定を考えることにしたのだった。
調べていって、僕は驚いた。まず、MITにMBAがあるのをそもそも知らなかったのだ。そういえばMIT出身の人が何名か当社にいると聞いたことがあるが、僕はすっかりエンジニアリングなどを専攻しているのだと思っていた。もしかしたらMITでMBAをとったのかもしれない。いくら海外大学に疎い僕でも、ハーバードとUCLAは知っているし、大学時代の先生方の留学先であった、ケンブリッジ、プリンストンやMIT、スタンフォードなどの大学は知っている。続けて見ていくと、UCLAはランキング中位、という感じで、どうやらプリンストンはMBAがないらしい。ケンブリッジにMBAはあるのかと思って調べていくと、できてまだ日は浅いがあるらしく、なるほどヨーロッパにも結構な数のMBAがあるようである。僕はノートパソコンの前で腕組みをした。これは予想以上によくわからない。そもそも何がランキングを決めているのかも不透明だ。学校の数が多すぎて、人に聞いたりデータを集めているだけで答えを出せる気がしない。中々前に進まない日々が続いた。
そんな時に僕は一人の女性と出会った。とても綺麗で、上品が服を着て歩いているような立ち居振る舞いの、僕より少し年上の女性だった。煮詰まった僕は当時あやしい交流会に積極的に参加していたのだが、そこで彼女に出会ったわけだ。少し話すと、彼女もMBAを考えていて、もうテストスコアも揃っているとのことだった。
「どこの学校がいいとかあるんですか?」
僕はウイスキーのオンザロックをあおりながら聞いた。当時、僕はウイスキーはオンザロックをころころして飲むのがかっこいいと思っていた。何がおいしいかではなく、何がかっこよく見えるか。しかも極めて独りよがりなかっこよさ。僕がMBAを目指したのはそういう年頃だった。
「私はね、いんしあーど、というところが第一志望なの」
いきなり知らない学校名を出されて僕は面食らってしまった。
「あ、あ、いんしあーど、ですか。いい学校ですよね」
彼女はくすくすと笑った。今思えばたぶん僕が知ったかぶりをしたことを見抜いていたんだろう。
「そう、インシアード。私、ヨーロッパとかフランスが好きで一度住んでみたいのよね」
そういって彼女は素敵に笑った。僕は恋に落ちた。僕はまだ若く、単純で、そして行動力に溢れていた。家に帰ってインシアードについて調べ、素晴らしい学校であることを知り、僕もインシアードに留学しようと決意した。僕は猛烈に勉強し、合間にアメリを飽きるほど観て、そしてあっという間にテストスコアが揃った。まさにエッセイに取り掛かろうとしたその時、先輩経由で彼女が違う人と付き合っていることを知った。そう、本郷で勉強ばかりしていた奥手な僕は、付き合っている人がいるか聞いていなかったのだ。今なら笑える話だが、当時の僕にとってはMBA受験、そしてインシアードというモチベーションを支えてくれた人生の大きな柱を失った気分である。チャップリンはこういったそうだ ー "人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇である。"
傷心のところ、たまたまアメリカへの出張が入ることとなり、MBAへの情熱を失いかけていたものの、もう半ばやけくそで出張に休暇をくっつけていくつかの大学のキャンパスを見にいくことにした。周囲が綺麗で治安のよさそうなキャンパスもあれば、若干治安の悪そうなところにあるものもある。結構な田舎にあるものもあれば、大都会のど真ん中にあるものもある。当時はガラケーでまだウーバーなんて便利なものも当然なかったので、キャンパスを見つけるまでかなり迷ったりもした。相当迷った挙句に見つけたキャンパスは神々しくさえ見えるときもあった。
とある大学のキャンパスをふらふらしていると、日本人の方に声をかけて頂いた。思いっきり日本人です、みたいな恰好をして歩いていたので、日本人ではないかと思って声をかけて下さったのだという。僕はこの日着ていたステューシーの服に感謝した。有難いことにコーヒーを飲みながら、少しお話をさせて頂くことになった。出願するのか、と聞かれ、僕はそうである旨を伝え、そして単刀直入に志望校選びで悩んでいることを告げた。彼はこんなことを言った。
「私もこれといった決め手があったわけではないんです。でも直感を信じて志望校を絞りました」
彼はコーヒーを一口飲むと、ゆっくりと続けた。
「昔からアメリカの文化や音楽が好きだったんです。特にジャズ。アメリカに来ると気軽に聞けるし、日本では絶対にお目に欠けれないような掘り出し物があったりするんですよ」
そういって彼は嬉しそうに笑った。僕は昔エッセイで村上春樹が似たような話を書いていたのを思い出した。彼がプリンストンにいた当時に書いたエッセイを集めた短編集の中の一篇であった。
「結局、MBAで過ごす二年間も、人生の一部でしかないと私は思うんです。大学のカルチャーも大事だけど、町全体の雰囲気としてどういうところにいたいのか、そこに住んでいると何にアクセスできるのか、そういう観点が大事だと思います。二年間、そこに暮らすわけですが、MBAで勉強している時間はそのうちの一部なわけですから」
僕はお礼をいってそのキャンパスを後にした。なるほど、やはり最初の問題設定が間違っていたな、と僕は思った。僕にとっての正しい設問は、どこに行くのがよいのか、なんていう極めて漠然とした、他人の価値観や他人にどう見えるかに軸足が置かれた問いではなくて、僕が自分なりに二年間を最大限楽しめる場所はどこか、だったのだ。そう考えると、アカデミックは勿論大きなウェイトを占めるものの、そもそもの街の雰囲気だったり(海に近いといいな)、僕の好きな音楽のカルチャーに触れたり、はたまた大好きな海外ドラマの雰囲気を感じたり(僕は海外ドラマオタクであった)、そういう全く違った観点が出てきた。僕は帰りの飛行機の中でこの問題を構造化して、そしていくつかの志望校に絞ることができた。
少し時が流れ、志望校の一校に合格したことが分かり、渡米までのカウントダウンを過ごしている途中で、後輩の女性にMBAのことで相談された。彼女も志望校をどうするか、というので悩んでいるようであった。僕は自分がどうやってアメリカの学校群から志望校を絞り込んでいったのかを説明した。
「ヨーロッパの学校は検討しなかったんですか」
そう、僕はヨーロッパの学校を検討すらしなかったのだ。全くMECEではないので、彼女が疑問を持つのも当然である。
「ヨーロッパには行けない個人的な事情があるんだ」
彼女は怪訝そうな顔をしたが、それ以上は聞いてこなかった。失恋を理由に受けない学校を決めるのも、また個人の自由であると僕は思うのだ。
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