MBAの価値とは時間を買うことである
木漏れ日を浴びながら、半ばうとうとしてソファでくつろいでいると、MBAを卒業した母校からメールが来た。COVID-19(コロナウイルス)の影響で今年の就職活動は大変であるという旨であった。売り手市場だった過去数年とは真逆の状況で、人生とは如何に運に左右されるものなのか考えさせられる。いまMBAに在籍していたら、とふと考える。果たしてこのタイミングでMBAに来るのがよかったのか、就職は大丈夫なのか、巨額の学生ローンをどうするのか、様々な疑問が頭をよぎっているはずだ。
僕はiPhoneを閉じて目をつぶる。そして、この状況でMBAに来ていたとしても、おそらく長い目で見て後悔をすることはないだろうな、と思う。後から生まれた方の娘がソファーに向かって走ってきて、寝てるの、と聞く。右の頬に人の温かさを感じながら、人生は長い夢の中にいるようなものだ、と僕は思う。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし、と心の中で方丈記の冒頭を思い出しながら、僕はゆっくりと目を開ける。そこには、不思議そうな顔をした娘と、娘をほっぽりだしてソファでくつろぐ僕に呆れた妻の姿があった。
僕はいわゆる、普通の家庭の育った。いや、もしかしたら普通より少し下なのかもしれない。父親は働いてはいたものの、どの職もあまり長く続かず、母親は子育てがひと段落してからは小さな商社で働いていた。特に裕福でもなかったが、特筆するほど貧乏でもなく、東京の片隅にひっそりと住んでいた。テストは何故か得意だったため、おだてられるがままに大手の塾に入り、都内の進学校に入り、東京大学に入学した。そして、単位やら鬼教官やらは渋谷の居酒屋のビールで流し込むような駒場時代を送った。
自然が多い本郷の春はとても美しかった。進振りを経た同級生たちも少し顔つきが大人になり、将来に向けて青臭い議論をする。図書館で夜まで勉強し、もり川で食事をして、夜風に吹かれながら帰ったりする。重厚な建物に囲まれ、深く深く学問をするという世界はとても新鮮で楽しいものだったが、同時に、自分はアカデミアの世界で生きていくことはできない、という悟りを得た半年でもあった。自分は興味の対象が一貫性なく広い範囲で揺れ動くため、腰を据えて大きなテーマを研究していくようなアカデミアの世界には向いていないのだ。それは少し古臭い匂いのする図書館で、一心不乱に英語の論文を読み進める同級生と比較しても明らかだった。
その悟りを得て以来、僕は自分に正直に、自分の興味の赴くまま、楽しく生きることに決めた。二十歳になりたての青年は、自分を超えた大きな集団に対して貢献するような大志を抱くべきなのだ。そうできない以上、せめて開き直って自分に正直に生きよう、と。そうして僕の性格をよく知る先輩に進められるがまま、外資系の企業のいくつかにアプリケーションを出し、インターンをし、その中の一社に卒業後入社することにした。興味のある分野に顔を突っ込み続け、猛烈に働いた。預金残高が日々増え続け、皮下脂肪もそれに比例して増え続けた。数年たつと、仕事も少しずつ飽きていて、軽い気持ちでMBA受験に手を出し、エッセイを書き、そして気づいたら渡米していた。
MBAに来てすぐに、ザックという友達ができた。彼はどうやら南部の裕福な家庭出身で、学部でIvy Leagueの一校に行き、その後名門投資銀行のNYオフィスで働いていた。バーで飲んでいるとき、ザックに、なぜMBAに来たのか、と聞かれた。僕はグラスに半分くらい残ったビールを見ながら、少し自嘲気味に、僕は自分の軸がないんだ、だから興味の赴くままに旅をしているんだ、と答えた。少し小柄なザックは、しかし大きなその手で僕の背中をぽんとたたいて、だた一言、Awesome、といった。そして彼は、自分は立ち止まる時間が必要だった、という話をした。結局、人生は悩みの連続だし、そんな確固たるものを持っている人は多くないんだ、と。だから俺はこれでいいのか考える時間を買うためにMBAに来たんだ、と。
僕は残ったビールを飲みほした。そして、MBAに来てよかった、と思った。MBAに来るというのは、ある意味では時間を買うということなのだと思う。ザックや僕のような人間にとっては、二年間という時間を買って、自分の今後数十年のキャリアやプライベートについて考えを深める時間。ある人にとっては起業するための準備やネットワーク作りの時間。ある人にとっては、家族との時間を増やし、絆を深めるための時間。自分の好きなことに時間を使いながら、Masterの学位を一流大学からもらえ、キャリアアップも見込める、というのは、とてもリスクヘッジのきいた素晴らしい仕組みだと思う。
でも、僕はザックに、二年間という時間を買うのに数千万円は高くないか、と聞いてみた。これは僕の偽らざる感想でもあった。積み上げた預金残高はなくなったのに、同時期に積みあがった皮下脂肪はなくならないという人生の悲哀を当時感じていたからだ。彼は首を振りながらこういった。俺は金をうなるほどもってて、よぼよぼで、そして人生を後悔しているやつらを沢山知ってる、と。僕は強く頷いて、ビールをもう一杯頼み、そして明日からジムに通って自分の皮下脂肪との戦いを始めることを決意した。明日は明日の風が吹くのだ。
僕はiPhoneを閉じて目をつぶる。そして、この状況でMBAに来ていたとしても、おそらく長い目で見て後悔をすることはないだろうな、と思う。後から生まれた方の娘がソファーに向かって走ってきて、寝てるの、と聞く。右の頬に人の温かさを感じながら、人生は長い夢の中にいるようなものだ、と僕は思う。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし、と心の中で方丈記の冒頭を思い出しながら、僕はゆっくりと目を開ける。そこには、不思議そうな顔をした娘と、娘をほっぽりだしてソファでくつろぐ僕に呆れた妻の姿があった。
僕はいわゆる、普通の家庭の育った。いや、もしかしたら普通より少し下なのかもしれない。父親は働いてはいたものの、どの職もあまり長く続かず、母親は子育てがひと段落してからは小さな商社で働いていた。特に裕福でもなかったが、特筆するほど貧乏でもなく、東京の片隅にひっそりと住んでいた。テストは何故か得意だったため、おだてられるがままに大手の塾に入り、都内の進学校に入り、東京大学に入学した。そして、単位やら鬼教官やらは渋谷の居酒屋のビールで流し込むような駒場時代を送った。
自然が多い本郷の春はとても美しかった。進振りを経た同級生たちも少し顔つきが大人になり、将来に向けて青臭い議論をする。図書館で夜まで勉強し、もり川で食事をして、夜風に吹かれながら帰ったりする。重厚な建物に囲まれ、深く深く学問をするという世界はとても新鮮で楽しいものだったが、同時に、自分はアカデミアの世界で生きていくことはできない、という悟りを得た半年でもあった。自分は興味の対象が一貫性なく広い範囲で揺れ動くため、腰を据えて大きなテーマを研究していくようなアカデミアの世界には向いていないのだ。それは少し古臭い匂いのする図書館で、一心不乱に英語の論文を読み進める同級生と比較しても明らかだった。
その悟りを得て以来、僕は自分に正直に、自分の興味の赴くまま、楽しく生きることに決めた。二十歳になりたての青年は、自分を超えた大きな集団に対して貢献するような大志を抱くべきなのだ。そうできない以上、せめて開き直って自分に正直に生きよう、と。そうして僕の性格をよく知る先輩に進められるがまま、外資系の企業のいくつかにアプリケーションを出し、インターンをし、その中の一社に卒業後入社することにした。興味のある分野に顔を突っ込み続け、猛烈に働いた。預金残高が日々増え続け、皮下脂肪もそれに比例して増え続けた。数年たつと、仕事も少しずつ飽きていて、軽い気持ちでMBA受験に手を出し、エッセイを書き、そして気づいたら渡米していた。
MBAに来てすぐに、ザックという友達ができた。彼はどうやら南部の裕福な家庭出身で、学部でIvy Leagueの一校に行き、その後名門投資銀行のNYオフィスで働いていた。バーで飲んでいるとき、ザックに、なぜMBAに来たのか、と聞かれた。僕はグラスに半分くらい残ったビールを見ながら、少し自嘲気味に、僕は自分の軸がないんだ、だから興味の赴くままに旅をしているんだ、と答えた。少し小柄なザックは、しかし大きなその手で僕の背中をぽんとたたいて、だた一言、Awesome、といった。そして彼は、自分は立ち止まる時間が必要だった、という話をした。結局、人生は悩みの連続だし、そんな確固たるものを持っている人は多くないんだ、と。だから俺はこれでいいのか考える時間を買うためにMBAに来たんだ、と。
僕は残ったビールを飲みほした。そして、MBAに来てよかった、と思った。MBAに来るというのは、ある意味では時間を買うということなのだと思う。ザックや僕のような人間にとっては、二年間という時間を買って、自分の今後数十年のキャリアやプライベートについて考えを深める時間。ある人にとっては起業するための準備やネットワーク作りの時間。ある人にとっては、家族との時間を増やし、絆を深めるための時間。自分の好きなことに時間を使いながら、Masterの学位を一流大学からもらえ、キャリアアップも見込める、というのは、とてもリスクヘッジのきいた素晴らしい仕組みだと思う。
でも、僕はザックに、二年間という時間を買うのに数千万円は高くないか、と聞いてみた。これは僕の偽らざる感想でもあった。積み上げた預金残高はなくなったのに、同時期に積みあがった皮下脂肪はなくならないという人生の悲哀を当時感じていたからだ。彼は首を振りながらこういった。俺は金をうなるほどもってて、よぼよぼで、そして人生を後悔しているやつらを沢山知ってる、と。僕は強く頷いて、ビールをもう一杯頼み、そして明日からジムに通って自分の皮下脂肪との戦いを始めることを決意した。明日は明日の風が吹くのだ。
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