アメリカ就職エトセトラ

「それで」

オードリーはいつものように、こちらの顔を少しのぞき込みながら、大きな目を見開いて聞いた。

「そのボストンキャリアなんとかには何故いくの?」

ボストンキャリアフォーラムという単語を始めて聞いたのは確か大学四年生になってからだ。内定先の新卒採用担当チームの先輩とランチをした際、海外大学出身で同期になる子たちがいて、どうやらボスキャリなる場所で採用された旨を聞いた。先輩は自慢げに、今年はどこどこ大学出身がいて、などと話をしているが、全く聞いたことのない大学だ。解せぬ顔をしながら黙々と卵スープをすすっている僕を見て、先輩は一言、世界では東大よりずっと上にランクされている大学だ、という旨を付け加えてくれた。後ほどカタカナで大学名を調べ、Ivy Leagueなるものを初めてきちんと理解したのもその時である。

"ボスキャリ"、はその後、もっと身近なものになった。というのも、入社一年目が終わるころ、何故か新卒採用に関わることとなり、海外採用も対応することになったからだ。日々の業務に追われながらの採用活動は正直辛かったものの、おかげさまで色々な人と触れ合うことができ、MBAというものに興味をもつきっかけにもなった。MBA前の壮行会などでも頻繁にこの単語を聞くためか、いつしかボスキャリに行く、というのは当たり前のこととして自分の中に沈殿していった。

MBAプログラムが始まると、しばらくはみな自己紹介で忙しい。太陽の照り付ける中、四六時中握手をし、相手の名前を覚え、そして終始笑顔でいるのだ。僕も下手くそな英語で簡単なキャリアを説明し、半分以上聞き取れていない相手の英語を、しかしとても興味深いといった態度で聞き続けた(僕はこういうのは得意なのだ)。ただ、僕はMBAに、なんとなく楽しそう、そして、一度は海外で生活してみたい、というとてもPrimitiveな理由で来ていたので、キャリア関連の話になると正直困ってしまった。同級生はみな起業やらNGOやらという大きな話をしている。いつしか、日本人向けにはボストンキャリアフォーラムというものがあってとりあえずそこに行く予定だ、という説明を逃げ道として使うようになった。

オードリーはとても綺麗な女性で、確か両親が台湾系の移民のはずなので、彼女自身は二世ということになる。例にもれず、僕は彼女とこの奇妙に定式化された自己紹介を通じて知り合った。オードリーっていう名前は大げさなのよね、みんなオードリーヘップバーンを思い出すでしょ、と彼女は言った。僕はそんなことないと思ったが、英語力を考慮して曖昧に頷くに留めた。両親が移民、ということもあるのか、僕の訛りのある英語もあまり苦にせず聞いてくれて、特に接点はなかったものの、会えば話す間柄になった。

この日もとあるパーティーで彼女とたまたま会って、近況を報告しあっていた。いつの間にか夜風が秋の匂いを運んでくるようになった頃のことで、異常にテンションの高かった同級生も気温の低下とともに落ち着きを取り戻し、課題やら就職活動という現実と向き合い始めていた。オードリーはレイターステージのスタートアップに興味があるそうで、積極的にネットワーキングをしているとのことだった。近況を聞かれた僕は、壊れたラジオのように、ボスキャリに行くんだ、と答えた。そこで彼女に聞かれたのが冒頭の質問だった。

ボスキャリに行くことに対して疑問を呈されたのは実は初めてだった。US MBAの主流であるアメリカ人たちにとって、ボストンで日本に特化した就職イベントがあるというのは一種東洋の神秘のようなもので、それ以上は深堀りされないのだ。僕は少し躊躇しながら、沢山の企業が参加して、その中に自分が興味を持つものもあるかもしれないから、と、いくつか具体的な参加企業の名前を挙げて説明した。オードリーは不思議そうな顔をして、殆どが米国の会社なのに、何故わざわざ日本のポジションを受けるのか、と聞いた。僕はそうだね、と答えた。彼女は笑った。とても素敵な笑顔だった。そして、一応行ってみる予定だといういくつかの大企業のプレゼンテーションやイベントに誘ってくれた。ボスキャリに来る会社の例として僕が挙げた会社が業界大手だったからなのだろう。勿論、断る理由はなかった。結果として、このプレゼンテーションやイベントが僕の考え方を変えることになり、僕のアメリカ就職活動が始めることとなる。彼女がイケメン高身長でとてつもなく生まれがよいアメリカ人と付き合うことになるのを知るのはもう少し後のことだ。

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