何故アメリカの就職活動に挑戦したのかという話
日本人同級生が、やれボスキャリでいくつ内定を取ったという景気の良い話をしている中、僕は沈黙を守っていた。夏は某外資系企業の東京オフィスで働く予定だという同級生のヒロに、同じく昨年東京でインターンした先輩が、六本木のナイトスポットについて熱弁を揮っている。同じMBAに在籍する日本人の会合で行った中華料理屋で、浮かれた話には耳を貸さず、僕は真摯にジャージャー麺と向き合っていた。驚くべきことに、それは僕が日本で食べていたジャージャー麺とは全く別物であった。一緒に頼んだチンタオビールがみるみる減っていく。僕がビールのお替りを頼もうと思っていると、一学年上のジュンが隣に座った。先輩とは言え、同じ年で横顔の綺麗な彼女は、人生の大部分をイギリスとアメリカで過ごした帰国子女であり、夏のインターンをしたアメリカの大企業に卒業後も進むことを決めているらしい。
「ここのジャージャー麺美味しいよね」
そういいながら彼女はジャージャー麺を目の前のだれも使っていない小皿に取り分けた。
「美味しい。日本で食べているものとは全く違くない?」
僕がそういうと彼女はにこっと笑った。
「日本の中華は日本人向けにアレンジされているものが多いんじゃない?私は日本の料理がやっぱり世界で一番美味しいと思うな」
そういって彼女はジャージャー麺を上品に食べた。僕は小さく頷く。彼女は小学校から高校までイギリスで過ごし、その後アメリカの大学に進学。卒業後、日本で就職し、MBAを取りにまたアメリカに戻ってきたそうだ。
「ビール飲む?」
ジュンは麺を口に運びながら小さく頷く。僕は丁度こちらに向かってきたサーバーにビールを二つ頼んだ。
「夏のインターン、アメリカでやる予定なんだっけ?」
「まだ決めていないけどね。日本でやらない方向では考えている。シンガポールとか、アジア圏にも興味があるから」
当時、僕はオードリーのおかげでアメリカ就職に本腰を入れ始めてからしばらくたっていた。スケールの大きな話に圧倒され、最先端のイノベーションを追求しつつ、プライベートと仕事のバランスを重視する米国テクノロジー企業へのあこがれは日に日に募っていった。しかしながら、コーヒーチャットやネットワーキングイベントに積極的に参加をするも、全く存在感が示せず、薄ら笑いを浮かべながら相手の話に相槌をうち、撤退を余儀なくされることも多かった。打ちひしがれる僕を慰めてくれた、シンガポール出身の同級生であるミンウェイの話を聞くうちに、シンガポールなどアジア圏での就職に魅力を感じていた。英語力は勿論要求されるが、アクセントのある英語を話す人も多く、なんとかやっていけそうな雰囲気を感じたのだ。
「実際、結構アメリカで就職するのは厳しいなと思っているのもある。ジュンはなんでアメリカで就職することに決めたの?」
僕はエビが沢山入ったチャーハンに手を伸ばす。週に三回か四回ほど大学のジムに通う生活を始めたにも関わらず、僕の脂肪は運命的に下腹部に張り付いていた。
「うーん」
そういいながら彼女はふと視線を上げて、すっかり暗くなった外を見た。渡米当初と違って日は短くなり、寒い冬が近づいてきているのがわかる。
「私は今まではこっちが長かったから、もう一度日本とかアジアで、というのも考えたんだけどね」
冷えたビールが二つ運ばれてきた。ジュンはビールを少し飲んで、視線を僕の方に戻した。
「私の入る会社はアメリカが本社だけど、かなり大きなオペレーションをアジアでも持っていて、数年後に行こうと思ったら行けるかなと思ったの。実際にトランスファーしている人も多いし。でも逆はなかなか難しいらしいのよね」
僕はビールをぐいっと飲んで、静かに頷いた。僕も外資系企業の東京オフィスで、たまに海外からトランスファーしてくる外国人を見たが、一年間くらいの研修的なものを除き、逆のパターンは殆ど見なかった。
「とりあえず一番難しいところから攻めてみるのよ。結果なんてやってみないと分からないでしょ」
そういって彼女は笑った。僕も笑った。まだ何もやっていないのに、他の選択肢を検討するのは確かにかっこ悪いな、と僕は思った。最後まで足掻いてみよう。劉邦だって九十九回負けたけれども、最後の一回項羽に勝って、そして天下を取ったわけだ。
「その通りだね。乾坤一擲、何か起きるかもしれないし」
なんとなく、僕らは乾杯した。少し肌寒いが、まだ秋の気配が残るいい夜だった。そしてジュンはとても綺麗だった。卒業して三年くらいたって、彼女がとても幸せそうな顔をして、純白のドレスを着た写真をフェイスブックで見かけた。僕は、今でもアメリカにへばりついて、そしてとりあえず一番難しそうなところから攻めている。まだまだ天下は取れそうにないけれど。
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