アメリカの夏のインターンがイマイチだった話
いつもより少し早起きをして、コーヒーを淹れながら窓の外を見る。日に日に緑が濃くなっているのがわかる。朝食を終え、丁寧に歯磨きをした後、僕は久しぶりに少し伸びた髭を剃り、髪を整え(といっても整えるほどでもないくらい短いのだが)、日本から持ってきたチノパンを取り出し、綺麗にアイロンをかけたシャツを着て出かけた。夏の気配を近くに感じられる気持ちのよい朝だった。インターンの初日としては申し分のないスタートだ。インターンのオファーが出てからは、CPTの承認をとったり、Social Security Numberを申し込んだり(これがないと働けないのだがJob Offerがないと申請すらできないのだ)、授業の最終プロジェクトや試験に追われて、あっという間に一年目が終わってしまった。MBA留学まで一切海外で生活した経験のなかった僕としては、アメリカで働く、という事実自体にとても興奮していたし、とても高い期待を持っていた。
オフィスに入ると大きな部屋に誘導された。そこには、ここからしばらくの間、同僚として過ごすインターンのMBA Candidate達が座っていた。どこに座ろうか一瞬悩んだが、人のよさそうな顔をした若い男を見つけ、彼の隣の席を陣取ることにした。彼はジョンという名前で、MBBのうちの一社で3年ほど働いた後MBAに進学したそうで、そして母親が日本人だった。彼の母親は幼少期をアメリカで過ごしたため英語に全く不自由がなく、家族内の会話は全て英語であり、従ってジョンは殆ど日本語が話せないそうだ。同級生に日本人が結構いるから日本語を少しは勉強しておけばよかったよ、と彼は笑いながら話した。学部時代はコンピューターサイエンスを専攻しており、夏のインターンではなんだか小難しそうなモデルを作るチームに在籍するそうだ。ブラックボックスになっちゃうんだよね、と彼ははにかんだ。このモデルはDeep Learningを利用したテクノロジーだったのだが、それに僕が気づくのはMBAを卒業してだいぶ経ってからのことだ。
歳とバックグラウンドが近く、そして日本人という遺伝的な共通項のある僕たちは直ぐに意気投合した。インターン先の会社のMBA採用担当者によるプレゼンテーションを聞きながら、ジョンは小さな声で、Boring、と呟いた。僕は、One hundred percent、と言った。授業の最終プロジェクトで一緒になった中西部出身のアメリカ人女性が、同意を表すときにこの表現を多用していて、いつしか僕も口癖のようになっていたのだ。退屈なプレゼンテーションが終わり、僕はジョンと握手をし、配られたSwagを持って部屋を出た。部屋の外ではIntern Managerであるサムが待っていた。僕はサムとまたがっちりと握手をして、彼の後について自分のデスクに向かった。
サムの上司であるアンドリューのチームはそれなりのサイズで、全体で25人くらいの人が在籍していた。僕はProgram Managerという、Projectの立案から執行を中心的な仕事としつつ、分析なども手伝う職種(悪く言えば便利屋のような仕事)でインターンをしていたのだが、アンドリューのチームにはもう一人Program Managerインターンがいた。彼はマイクといって、まず見た目からしてコテコテのアメリカ人だが、中身もやはりコテコテのアメリカ人だった。まず声が大きい。そして暇があれば他人のデスクにふらふらと寄って与太話をしている。僕も初日に絡まれて、延々と日本についての話をさせられた(マイクは、俺の行っているMBAプログラムには日本人がいない、と言っていたが、僕は知り合いが一人行っているのを知っていた)。
サムから与えられた仕事は、とある商品をとあるマーケットで立ち上げる、というものだった。サムがある程度の土台作りをしてくれていたので、全くゼロからスタートするわけではなかったが、かなりの自主性が与えられそうな仕事だ。綺麗なデスクにMacが用意されていて、コーヒーを飲みながら英語の飛び交う環境に身を置くと、自分がなんだか去年までとは全く違う人間になったように思えた。サムからの最初の指示は、チームメートや関連部署の担当者(サムはPOC、と呼んでいて、意味が分からなった僕は分かったふりをして後からインターネットで調べた)とミーティングをセットし、プロジェクトや商品についての理解を深めよ、ということだった。僕はおそるおそる、"インターンとしてチームに参加したものですが"、というような意味の一文で始まり、"30分ほどお時間を頂戴できれば幸甚に存じます"、というような意味の一文で終わる長いメールを書いて、ミーティングをセットアップした。
最初の数週間はとても早く過ぎた。オフィスに出社し、お金を稼ぎ、そして週末に思いっきり遊ぶというリズムは久しぶりで、夏の空気も手伝ってとても開放的な生活スタイルを楽しんだ。金曜日から日曜日はほぼ毎日どこかに繰り出し、お酒を飲んで、MBAの同級生たちと集まってインターンの進捗について情報交換をした。英語力も想像以上に伸びた。容赦のないネイティブとのコミュニケーションを英語でこなすうちに、劇的にリスニング能力が伸び、そして比例するようにスピーキングの能力も上がってきた。火事場の馬鹿力というやつであろう、人間は追い込まれると限界を超えた力を発揮するのだ。そして周りの状況が把握できるようになるにつれ、僕の中に少しずつ違和感が芽生えていった。
僕がこのプロジェクトの分野についてチームで一番詳しかった、という事情もあるのだろうが、基本的に僕が話して、僕が書類を作って、僕が分析して、僕が話を進めていくという状況だった。前職と比べてぬるい、と思ってしまう。鬼のように上司に詰められながらロジックを積み上げていくこともなければ、厳しいクライアントにご指導を頂くこともない。二十代という貴重な時代をこの会社で過ごしてよいのかと悩み出した。
僕はふとジョンのことを思い出した。なんとなく彼なら話を聞いてくれそうな気がする。僕はすぐに社内のチャットで連絡をして、そして数日後の金曜日の午後にお茶をすることが決まった。当日はうだるように熱い日だった。僕はもうすっかり"カジュアル"というやつに慣れて、Tシャツにジーンズといういで立ちだった。ジョンは薄い水色のTシャツに短パンで現れた。僕たちはオフィス近くにある、ジョンがお気に入りだというコーヒーショップに寄り、アメリカンサイズの巨大なアイスコーヒーを頼む。席につくと、ジョンはたっぷりとガムシロップをコーヒーに注いだ。そしてストローでガムシロップをゆっくり混ぜながら、なんかさ、あんまりおもしろくないよな、と言った。水滴がゆっくりとグラスを滑り落ちていった。
僕たちはその後二時間くらい話し続けた。そしてそのままオフィスを飛び出して近くのバーに入った。今までのうっ憤をはらすように、アルコールを血に注ぎ込むように飲んだ。僕たちはまだ若く、そしてまだ色々と学びたかった。挑戦するためにMBAに来て夏のインターンを選んでいるのに、この場所は居心地が良すぎるのだ。この日以来、僕とジョンは毎週会って意見交換をした。彼がデートしていた美しい女性(確か名前はアンジーといったはずだ)とも画面越しに挨拶をした。
そうこうしているうちに、夏は忙しく過ぎていった。僕は英語で仕事をすることにも慣れ、ちょっとした息の抜き方も覚えた。メールの長さもインターン初日の三分の一くらいになった。考えように拠っては、この会社で着実にポジションを固めてアメリカで生きていく、という生き方も悪くないのかもしれない、そんなことが頭をよぎる日もあった。実際、とても従業員思いのいい会社だったと今でも思う。インターンの最終週、僕のインターンプレゼンテーションはとてもうまくいった。そしてサムからフルタイムのオファーが出る旨を伝えられた。しばらくして、ジョンから社内チャットではなくテキストがきた。オファーが出たが受けない、という内容だった。僕はOne hundred percent、と送り返した。
卒業してしばらくして、LinkedIn経由でマイクがこの会社に入社したことを知った。今でも、ジョンではなくマイクと仲良くしていたら、自分もあのままフルタイムのオファーを受けていたのかな、とふと思うことがある。ジョンとは卒業以来はすっかり連絡をとらなくなったが、一度Facebookで結婚式の写真をアップしているのを見て、少しだけメッセンジャーでやり取りをした。アンジーとは違う女性だった。この記事を書きながら久しぶりに彼らのことを思い出した僕は、二人ともこの環境下で、健康でうまくやっていることを祈った。
オフィスに入ると大きな部屋に誘導された。そこには、ここからしばらくの間、同僚として過ごすインターンのMBA Candidate達が座っていた。どこに座ろうか一瞬悩んだが、人のよさそうな顔をした若い男を見つけ、彼の隣の席を陣取ることにした。彼はジョンという名前で、MBBのうちの一社で3年ほど働いた後MBAに進学したそうで、そして母親が日本人だった。彼の母親は幼少期をアメリカで過ごしたため英語に全く不自由がなく、家族内の会話は全て英語であり、従ってジョンは殆ど日本語が話せないそうだ。同級生に日本人が結構いるから日本語を少しは勉強しておけばよかったよ、と彼は笑いながら話した。学部時代はコンピューターサイエンスを専攻しており、夏のインターンではなんだか小難しそうなモデルを作るチームに在籍するそうだ。ブラックボックスになっちゃうんだよね、と彼ははにかんだ。このモデルはDeep Learningを利用したテクノロジーだったのだが、それに僕が気づくのはMBAを卒業してだいぶ経ってからのことだ。
歳とバックグラウンドが近く、そして日本人という遺伝的な共通項のある僕たちは直ぐに意気投合した。インターン先の会社のMBA採用担当者によるプレゼンテーションを聞きながら、ジョンは小さな声で、Boring、と呟いた。僕は、One hundred percent、と言った。授業の最終プロジェクトで一緒になった中西部出身のアメリカ人女性が、同意を表すときにこの表現を多用していて、いつしか僕も口癖のようになっていたのだ。退屈なプレゼンテーションが終わり、僕はジョンと握手をし、配られたSwagを持って部屋を出た。部屋の外ではIntern Managerであるサムが待っていた。僕はサムとまたがっちりと握手をして、彼の後について自分のデスクに向かった。
サムの上司であるアンドリューのチームはそれなりのサイズで、全体で25人くらいの人が在籍していた。僕はProgram Managerという、Projectの立案から執行を中心的な仕事としつつ、分析なども手伝う職種(悪く言えば便利屋のような仕事)でインターンをしていたのだが、アンドリューのチームにはもう一人Program Managerインターンがいた。彼はマイクといって、まず見た目からしてコテコテのアメリカ人だが、中身もやはりコテコテのアメリカ人だった。まず声が大きい。そして暇があれば他人のデスクにふらふらと寄って与太話をしている。僕も初日に絡まれて、延々と日本についての話をさせられた(マイクは、俺の行っているMBAプログラムには日本人がいない、と言っていたが、僕は知り合いが一人行っているのを知っていた)。
サムから与えられた仕事は、とある商品をとあるマーケットで立ち上げる、というものだった。サムがある程度の土台作りをしてくれていたので、全くゼロからスタートするわけではなかったが、かなりの自主性が与えられそうな仕事だ。綺麗なデスクにMacが用意されていて、コーヒーを飲みながら英語の飛び交う環境に身を置くと、自分がなんだか去年までとは全く違う人間になったように思えた。サムからの最初の指示は、チームメートや関連部署の担当者(サムはPOC、と呼んでいて、意味が分からなった僕は分かったふりをして後からインターネットで調べた)とミーティングをセットし、プロジェクトや商品についての理解を深めよ、ということだった。僕はおそるおそる、"インターンとしてチームに参加したものですが"、というような意味の一文で始まり、"30分ほどお時間を頂戴できれば幸甚に存じます"、というような意味の一文で終わる長いメールを書いて、ミーティングをセットアップした。
最初の数週間はとても早く過ぎた。オフィスに出社し、お金を稼ぎ、そして週末に思いっきり遊ぶというリズムは久しぶりで、夏の空気も手伝ってとても開放的な生活スタイルを楽しんだ。金曜日から日曜日はほぼ毎日どこかに繰り出し、お酒を飲んで、MBAの同級生たちと集まってインターンの進捗について情報交換をした。英語力も想像以上に伸びた。容赦のないネイティブとのコミュニケーションを英語でこなすうちに、劇的にリスニング能力が伸び、そして比例するようにスピーキングの能力も上がってきた。火事場の馬鹿力というやつであろう、人間は追い込まれると限界を超えた力を発揮するのだ。そして周りの状況が把握できるようになるにつれ、僕の中に少しずつ違和感が芽生えていった。
僕がこのプロジェクトの分野についてチームで一番詳しかった、という事情もあるのだろうが、基本的に僕が話して、僕が書類を作って、僕が分析して、僕が話を進めていくという状況だった。前職と比べてぬるい、と思ってしまう。鬼のように上司に詰められながらロジックを積み上げていくこともなければ、厳しいクライアントにご指導を頂くこともない。二十代という貴重な時代をこの会社で過ごしてよいのかと悩み出した。
僕はふとジョンのことを思い出した。なんとなく彼なら話を聞いてくれそうな気がする。僕はすぐに社内のチャットで連絡をして、そして数日後の金曜日の午後にお茶をすることが決まった。当日はうだるように熱い日だった。僕はもうすっかり"カジュアル"というやつに慣れて、Tシャツにジーンズといういで立ちだった。ジョンは薄い水色のTシャツに短パンで現れた。僕たちはオフィス近くにある、ジョンがお気に入りだというコーヒーショップに寄り、アメリカンサイズの巨大なアイスコーヒーを頼む。席につくと、ジョンはたっぷりとガムシロップをコーヒーに注いだ。そしてストローでガムシロップをゆっくり混ぜながら、なんかさ、あんまりおもしろくないよな、と言った。水滴がゆっくりとグラスを滑り落ちていった。
僕たちはその後二時間くらい話し続けた。そしてそのままオフィスを飛び出して近くのバーに入った。今までのうっ憤をはらすように、アルコールを血に注ぎ込むように飲んだ。僕たちはまだ若く、そしてまだ色々と学びたかった。挑戦するためにMBAに来て夏のインターンを選んでいるのに、この場所は居心地が良すぎるのだ。この日以来、僕とジョンは毎週会って意見交換をした。彼がデートしていた美しい女性(確か名前はアンジーといったはずだ)とも画面越しに挨拶をした。
そうこうしているうちに、夏は忙しく過ぎていった。僕は英語で仕事をすることにも慣れ、ちょっとした息の抜き方も覚えた。メールの長さもインターン初日の三分の一くらいになった。考えように拠っては、この会社で着実にポジションを固めてアメリカで生きていく、という生き方も悪くないのかもしれない、そんなことが頭をよぎる日もあった。実際、とても従業員思いのいい会社だったと今でも思う。インターンの最終週、僕のインターンプレゼンテーションはとてもうまくいった。そしてサムからフルタイムのオファーが出る旨を伝えられた。しばらくして、ジョンから社内チャットではなくテキストがきた。オファーが出たが受けない、という内容だった。僕はOne hundred percent、と送り返した。
卒業してしばらくして、LinkedIn経由でマイクがこの会社に入社したことを知った。今でも、ジョンではなくマイクと仲良くしていたら、自分もあのままフルタイムのオファーを受けていたのかな、とふと思うことがある。ジョンとは卒業以来はすっかり連絡をとらなくなったが、一度Facebookで結婚式の写真をアップしているのを見て、少しだけメッセンジャーでやり取りをした。アンジーとは違う女性だった。この記事を書きながら久しぶりに彼らのことを思い出した僕は、二人ともこの環境下で、健康でうまくやっていることを祈った。
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